地方暮らしに憧れる人々に贈る、東京→北海道移住エッセイ OPEN THE DOOR 第3回 その靴じゃダメ

代表作『山と食欲と私』は累計150万部を超え、コロンビアとも数多くのコラボレーションしている漫画家・ 信濃川日出雄さんが家族とともに東京から北海道へ移住し、自然に囲まれたアウトドアな日々を綴る連載コラム。今回は、里帰り出産で訪れた帯広と、義父に指摘されたブーツにまつわるエピソードをお届け。

※この記事は、CSJ magazineで2020.11.13に掲載された「地方暮らしに憧れる人々に贈る、東京→北海道移住エッセイ OPEN THE DOOR No.3」の内容を再編集し、増補改訂したものです。(着用ウェア、掲載商品は取材当時のものとなりますので、一部取扱がない場合がございます。)

明快な厳しさ

「その靴じゃダメだ。ちゃんとしたブーツを買ってきなさい」

義父は、私の足元を一瞥してそう言った。
札幌より寒い街、帯広市にある妻の実家を訪れた12月のある日、玄関でのワンシーンである。
私は面食らった。そして少しムッとした。 ダメ出しされたスニーカーは、東京に住んでた頃に、妻から誕生日プレゼントとしてもらった大事な靴だった。
デザインはお気に入り。底面のグリップはちょっと頼りないものの、ハイカットで足首までカバーしている。どうせ移動は車がメインで雪道を歩くことなんてほとんどないのだろうから、この程度で十分。だって高校時代は雪国の新潟でこんな靴履いてたもんね、などと自分なりに「この冬、これでOK」とジャッジして履いてきた、自慢の一足だった。

この靴ではいけないのか? なぜ一瞥にダメと言い切れるのか?
だいたい大人になると、面と向かって「それはダメ!」と頭ごなしに断じられることが少なくなる。例えば「なるほど、いいね! そういう考え方もあるね!」などと、一旦理解を示した上で、「念のために、こういう考え方も伝えておくね……♪」と、マイルドに、オブラートに包んで伝えたり、伝えてもらったり、とか……。 「はい! わかりました!」

即答である。
義父は北海道生まれ北海道育ち。厳しい北海道の冬を知りつくす大先輩のアドバイスを聞かない理由などないではないか。あるいは北海道そのものの言葉として受け取ったっていい。
若造なんかにいちいち言葉を濁さない明快な厳しさが、他意のない親切心のように感じられる。

急いで最寄りの靴屋に向かった。

多拠点生活と、ご縁と、運命の日

外は雪がシンシンと降り、グングンと冷え込んでいた。
結局、底面のグリップがしっかりの、中は毛がモコモコの、お財布と相談しながらの……「冬道、これで安心!」というラベルの貼られたブーツを買った。

実はこの時の妻の実家への訪問は一時的なものではなく、ちょっとした居候が目的。3ヶ月、厳冬期にまるっと滞在した。

主目的は里帰り出産への立ち会いであるものの、出産を待つ間、仮に私が札幌の自宅にいたとしても見ず知らずの土地で一人きりだ。
だったら妻の実家で、みんなで一緒に生活しながら仕事もして、出産の時を待てばいいではないか、ということで招いてくださったわけである。

東京から札幌に移住して2ヶ月余りののち、すぐさま今度は帯広に移動して3ヶ月も過ごすという、まるで多拠点生活のようだ。

私の漫画の仕事の状況としては、この時は連載仕事がなく、「新作準備中」というタイミング。

スタッフに仕事場に来てもらう必要もないし、今ならどこへでもいける。だったら、この状況を前向きに楽しんでしまおう。という心算で、札幌より特急を乗り継ぎ3時間、帯広までやってきたのである。
ちなみに。興味深いもので、こんなふうに普通じゃない動きをしていると、面白がって興味を持ってくれる人も現れる。ある編集者さんは、わざわざ東京から帯広まで、打ち合わせのためだけにきてくれたりもした。

自分のスペースとして客間の一角を借りて机を置き、あとは最寄りの喫茶店などを利用して仕事をした。作画のことを考えたらスタッフを集めやすい札幌のような大都市でする必要があるが(北海道の中でも“札幌”を選んだのは、それが理由の1つ)、一人でできる作業ならこれで十分だ。
なんとかなった。 妻は出産のその日を待つ間、義母と共に家事や新生児を迎える準備をし、久しぶりとなる母娘同居生活を堪能していた。
定年退職を迎えた元公務員の義父は町内の仕事を手伝ったりして過ごしていたようだ。

滞在中はたくさんの人に会った。
ほとんどが妻の帰郷を聞きつけて訪ねてきた親類縁者で、私たち家族の北海道移住生活の始まりを温かく歓迎してくれた。当たり前だが、結婚をしなければ出会うこともなかったかもしれないみなさんである。これをご縁と呼ぶのだな、と毎日のように感動していた。

今振り返れば、移住したてのこの時に、土地の人と信頼関係のベースを築くことができたことは、その後の生活にとって大きかった。札幌と帯広では物理的にかなりの距離が離れているにしても、陸続きの同じ北海道だ。心の拠り所が、いざというときに駆け込める場所にあると思えるだけで、自立して頑張っていける。
これが仮に親戚でなくても、移住初期に頼れる誰か、及びそのコミュニティと、ガッチリとした関係を構築することは、新しい環境で暮らしていく上では非常に重要なことだろう、と考える。 初詣に行ったり、おせち料理を食べたり。餅つき大会に参加したり。“北海道の先輩たち”が新参者がコミュニティに馴染むための機会を作ってくれた。私も写真係を買って出たりして、積極的に交わる努力をした。

日に日に冬の厳しさは増していく。だが、人々の心はずっと温かい。
運命の瞬間の訪れを、穏やかな気持ちで待つことができた。 年が明けて、数日後。
いよいよ、その日。
妻は頑張った。
4,200g。ビッグベイビーがめでたく誕生した。

余程お腹の居心地がよかったのか、予定日を1日オーバーして、長女は出てきた。
「母子ともに健康」その一言が何よりも存在感を放ち、胸に響いた。

こんなに健康の有り難みを感じる経験は他にない。
授かること、その意味を心から知った日である。
どんなことがあっても、忘れられない。
義両親や親戚の皆様には大事な時期を全力でサポートしてもらった。
若干甘えすぎてお世話になりすぎたかも。ご恩はきっと返していこう。

ただ、ここで1つ。これがちょっと不思議な感覚なんだけど、いただいた温もりを、お返しすることよりも「次の世代に渡したい」という気持ちを、より強く感じている。

なんだろう。
自分がもらったプレゼントを、子ども達や、他の人にも手渡したくなるこの気持ちは。

人から人へ、幸福のバトンを繋いでゆくための、何か重要な秘密のようなものを掴んだ気がした。

砂浜でサンダルが売っているのと同じ

で、義父の勧めで手にした“安心ブーツ”はと言うと、それはもう大活躍であった。
病院の往復や、買い物や、ちょっと考え事をするのに散歩に出るときも、常に履いた。

帯広は札幌よりさらに寒い。
帯広の冬は「マイナス気温が当たり前」であるがゆえに、会話の上ではマイナスという単語を省略する。
「昨日は20度だったけど、今日は5度だって」
「へー、あったかいね」

マイナス5度をあったかいという世界だ。 地面は笑っちゃうくらいツルッツルで、スーパーマリオの氷のステージみたいに摩擦係数がなくなっている。風が吹けば地吹雪が舞い、ダイヤモンドダストだって普通に見られる。

グリップのない靴では歩けないし、保温性能のない靴でじっとしていたらしもやけを通り越して凍傷にだってなりかねない。

というか、グリップがあったって、滑る時は滑る。
でも、ないよりは絶対にあった方がいいし、最低でもグリップがなきゃ、転んだ時に言い訳もできないじゃないか。

履いてきたスニーカーはいつの間にか義母の配慮により下駄箱にしまわれていた。
だが、そのことを私自身帰る時まで気づかないでいた。それほど、“安心ブーツ”様に頼り切っていた。

▲この冬は、札幌(SAPPORO)と、コロンビアのホームタウンであるアメリカのポートランド(PORTLAND)をイメージして立ち上げたというスノーシューズ、その名も<SAPLAND>のブーツ『サップランド アーク ウォータープルーフ オムニヒート』を履いている。これぞ“THE 雪国はこれで安心ブーツ”だ。あったかく滑らない。詳細な性能は公式サイトを見ていただくとして、やっぱりどうせ履くならデザインはカッコ良い方がいいし、実際に履いてみて一番グッときたポイントが、スマートさとその軽さ! ゴツいブーツは、重いと足が疲れるし、車の運転をする時はペダルが踏みにくかったりする。その点をクリアし、さらにはサイドファスナーで脱ぎ履きしやすいこちらのブーツは日常使いにぴったりでお気に入り。

砂浜でサンダルが売っているのと同じ。
北海道では本物のブーツが売っている。
この土地でそれが容易に手に入るのは、生活必需品だからだ。

もしも、軟弱な靴を履いている者を見かけたら、
「その靴じゃダメだ。ちゃんとしたブーツを買ってきなさい」
と、一瞥に断じていい。

きっと「優しい!」と感謝されるに違いない。

プロフィール

信濃川日出雄
漫画家。代表作は『山と食欲と私』。
2001年よりプロ漫画家デビュー。2015年から新潮社「くらげバンチ」にて連載をスタートした『山と食欲と私』が累計150万部を超え、現在も好評連載中。PR企画やグッズデザインなどにも積極的に参画、コロンビアとも多くコラボレーションしている。

Text, Photos:信濃川日出雄