中部山岳国立公園内であり、北アルプスの南端・乗鞍岳の裾野に広がる乗鞍高原は、標高1,500mに位置し、登山やウィンタースポーツの拠点でありながら暮らしが営まれてきた場所だ。そんな乗鞍高原に魅せられ、この地で生活や仕事をしながらアウトドアライフを満喫している人々にフィーチャー。第3回目は、乗鞍高原をフィールドのひとつとする環境省中部山岳国立公園管理事務所所長の森川政人さんに、公私における乗鞍高原との関わりなどについて伺った。
環境省が目指す役割は「国立公園の保護と利用」
長野県松本市の安曇地区に、環境省中部山岳国立公園管理事務所がある。中部山岳国立公園のエリアは、乗鞍岳を南端に、北アルプスの主脈である穂高連峰、劔岳を有する立山連峰、白馬岳など。コロナ禍の真っ只中にあった2020年4月、森川政人さんはこの北アルプスを中心とした山岳地帯を管理する中部山岳国立公園管理事務所へ配属された。 「私たちの仕事は、事務所の名前のとおり“国立公園の管理”をすることです。具体的には“保護”と“利用”に関する仕事があります。保護に関しては、たとえばニホンジカが増えすぎていることに対して、捕獲やモニタリングを行って対策をするとか。また人と自然が共生する景観が特徴の乗鞍高原では、景観を維持するために樹木を計画的に伐採する修景伐採を行ったり、建物の整備など国立公園内での行為に対して基準に基づき行為可否を判断する許認可業務を行なったりしています」 一方、国立公園の利用に関しても業務内容は多岐にわたるという。 「中部山岳国立公園は山岳地帯が多いので、登山道を維持するための仕組み作りも行っています。(整備の主体となっているのは)乗鞍周辺だと乗鞍高原の地域関係者ですし、上高地から延びる登山道となると、北アルプス登山道等維持連絡協議会の構成員ですね。環境省や自治体など私たち行政は、事業費の確保や、その事業費を必要なところに配分し整備・維持ができるよう仕組みを作ることが役割です」 森川さん率いる中部山岳国立公園管理事務所は、このほかにも、日本第一号となった乗鞍高原の「ゼロカーボンパーク」の認定や、松本市と高山市の市街地と中部山岳国立公園をつなぐ約80㎞の観光ルート「Kita Alps Traverse Route(北アルプス・トラバースルート)」の発足を主導するなど、乗鞍高原を含む国立公園の魅力発信に取り組んでいる。一の瀬の草原は乗鞍高原がもつ大きなポテンシャル
森川さん曰く、乗鞍高原のフィールドとしての特徴は大きくふたつあるという。 「なによりの特徴は、(国立公園内に)人が住んでいることですね。たとえば一の瀬の草原はかつて放牧されていた場所ですが、放牧されなくなった今でも、住んでいる方々が草原を維持するための管理をしています。人が適度に手を入れるからこそ、あのような絶妙な景観が作られるんです。もうひとつの特徴は、乗鞍岳の噴火によって形成された溶岩台地であること。乗鞍高原は、ある程度平らで広い空間が標高1,200~1,500mに存在しています。自然が作ってくれた台地が存在するから人が住めて、山菜や水、魚など自然の恵みをいただきながら生活できるし、大きな起伏のないトレイルが数多く存在するわけです」 一の瀬のような草原は今、日本全国で減少傾向にあり、草原に特化した生態系も危機的な状況になりつつある。現在、新しく絶滅危惧種に追加されている動植物のなかで草原性の種は少なくないという。つい最近も、一の瀬に生息する草原性の蝶が新規で絶滅危惧種に指定されたということを、森川さんが教えてくれた。 「日本の生物種数は、小さい島国としては世界に突出して多いんです。それは里地里山に代表されるような、人と自然が共生してきたことによって生まれた“二次的な自然”があり、その自然に特化して生息する生き物がいるから。世界的にも、原生自然を守るだけでなく、こうした自然との共生が大事という流れになってきていて、だからこそ一の瀬の草原には価値があると思っています」 森川さん自身、ストーリーをもつこの一の瀬の草原に魅了されているそうだ。 「住民の7割程度が観光事業者で、自分たちの庭のように乗鞍高原を愛していると感じますね。その人たちが自分の庭のようにトレイルを管理する一方で、事業者として利用者を迎え入れるという部分は、他の地域とは全然違う印象です」 歴史的、地形的背景をもつ乗鞍高原の人々は、住民であり事業者でもある立場で、この乗鞍高原の自然環境を守り続けてきた。この居住地のなかに張り巡らされているトレイルの良さを伸ばしていきたいと、森川さんは語る。住民が普段使いしているトレイルに利用者が訪れて、温かな対話が生まれる。中部山岳国立公園の3,000m級の稜線にある山岳観光地では味わえない体験がこの乗鞍高原にはあり、森川さんはそこに大きな可能性を感じているのだ。 「そういう体験を旅の醍醐味として感じている利用者を、乗鞍高原はこれまでも大切にしてきたと思うんですよね。だから『地域の人に関わりたい』『地域になにか貢献したい』と思ってくれるような利用者と乗鞍高原はマッチする。のりくら高原トレイルズは外から来た人と地元の人が接合する場所なので、このトレイルの魅力を伸ばしていけたら乗鞍高原らしさがより際立つのではないでしょうか」自治体間のハブになり国立公園や地域を盛り上げる
「国立公園の利用推進の取り組みは元々観光協会や地元の事業者がやられていて、環境省はそこに中核的な立場で関わるほどの余力がほとんどありませんでした。職員数も今より少ないですし、まずは保護の方をしっかりやらないといけないという時代背景もあった。今は(自然破壊が進んだ)高度経済成長期のような時代でもなくなり、むしろ地方が過疎化して疲弊しているという現状があるなかで、環境省の役割も変わってきているし、環境省の強みを活かしてできることを考えています」 乗鞍高原も例外ではなく、ここ5年で人口が600人から500人程度に減少するなど、急激な過疎化が起こっている。森川さんは、環境省として国立公園の利用推進を図ることで、間接的にでも、こうした地域が抱える課題の解決に寄与することを目指しているそうだ。 「国立公園というのは行政界関係なくエリアが指定されています。関係する自治体の利害を調整して、最適な方向性を見出して提案できるのは僕たち環境省だからこそ。逆にそれがなかったら、環境省の存在価値はないのかなと個人的には思っています」 森川さんは、松本市街地で家族と暮らしながら、管理事務所や乗鞍高原をはじめとする中部山岳国立公園の各エリアへ足を運んでいる。乗鞍高原へ仕事目的で訪れるのは月5~6回ほどで(多いときは週に2~3日のときも)、プライベートでは頻繁に訪れているという。 「冬は子どもとスキーをしに、よく来ています。2020-2021シーズンは10週連続で来ました(笑)。乗鞍高原は地域の方々がアットホームな雰囲気を作られているところがいいですね。乗鞍高原内にペンションとカフェとパン屋を兼業している施設があるんですけど、遊びに来たときはパンを毎回確実に買って帰ります。スキーして、パンを買って、温泉に入って帰るというのが冬のルーティンです。夏は一の瀬で川遊びしたり、地元の人と一緒に山菜採りを体験させていただいたり、ハイキングしたりしています」 森川さんには3人の子どもがいるが、中部山岳国立公園管理事務所に配属されたときは3番目の子どもは生まれておらず、上のふたりも2歳と0歳だった。つまり森川家の子どもたちは、物心がつく前から乗鞍高原の大自然や人々と触れ合えるという、貴重な体験をしているのだ。親の目線においてもこの乗鞍高原に大きな魅力を感じていると、森川さんは笑顔で語ってくれた。PROFILE
Text:松元麻希 Photos:セツ・マカリスタ―