“スーパーゼネコン”と呼ばれる大手建設会社の建築技術職として6年間働いたのちに長野県へ移住し、現在は書道家として国内外で活躍する松下夕那さん。プライベートでは毎年のように日本アルプスを縦走するなど、アウトドア好きでもある松下さんの移住生活と書道家としての活動について聞いてみました。
建築の道から書道家へと転身
1994年生まれの松下さんは大学を卒業後、スーパーゼネコンと呼ばれる大手の建設会社に就職しました。建築技術職として6年間働いたのちに退職。その後は舞台を長野県へと移し、店名や企業のロゴのほか、命名書を手がける"自由な書道家"に転身しました。 「書道家は会派(書道の団体)に所属するのが一般的なんですが、私の場合はどこにも属さずに活動しています。会派によってスタイルや書体もたくさんあるんですが、それに則って書くのではなく、自由にやっているので、そういう意味で"自由な書道家"としています」と松下さんは語ります。 そんな松下さんは2022年に長野県・茅野市に移住し、本格的に書道家としての活動を開始します。移住先に茅野市を選んだきっかけは唯一無二の景色だったと言います。 「何よりもここの景色は唯一無二ですね。夫とも『移住するなら長野県に住みたいね』と話していました。主に諏訪地域で古民家を探し回ってて、たまたま茅野市内の物件を見に行った日は晴れてて、八ヶ岳連峰がパーンと一望できたんです。『あ、ここじゃん』となり、即決しました。実際に住んでみて、景色が良い日に車を運転していると、事故を起こしてしまいそうになるくらい綺麗な景色が広がるんです(笑)」 長野県近郊で登山や渓流釣り、スノーボードといったアウトドアアクティビティを楽しんでいるという松下さんは、建築職としての経験を生かして古民家の再生にも取り組んでいるようです。 「小さい頃から『よじ登る』ことが好きだったんです。なのでアウトドアアクティビティの中でも特に登山が好きで、毎年のように飛騨山脈・赤石山脈・木曽山脈といった日本アルプスを縦走しています。実際に移住してみて、自分の空気感にマッチしていると感じています。私自身、山口県出身で田舎で育ったんですが、このエリアはただ単に田舎ではなくて、入り込んでいける自然がすぐそばにあるのが嬉しいです」 「古民家を自分の手でリノベーションするのも、ずっと夢でした。古民家はまだ国内にたくさんありますが、それを生かさずに取り壊してしまい、その地に長く伝わってきた景観を受け継がずに新しい住宅を建てることで、日本の景観は悲しくなっていっているように感じます。 それなら1軒でも自分の手で古民家を残してみたいと思ったんです。実際にやってみると、蜂の巣を撤去したり、シロアリによる被害があったりと思わぬトラブルが発生するので、ものすごい大変なんですけど毎日楽しんでますし、嬉しいです」 加えて畑や田んぼで野菜や米などを育てて自給自足の生活をするなど、やることが尽きず大変ながらも充実した日々を送っていると言います。 「古民家のリノベーションの傍ら、畑と田んぼを耕していて、畑では季節の野菜にジャガイモや大根などの根菜類、ピーマン類、トウガラシ類など、いろいろ育てています。田んぼでは米を3種類で、畑と田んぼいずれも試行錯誤しながらです。仕事もしながらにはなるので決して楽なことではないんですが、小さい頃から漠然と、自分の人生・生き方が何かに影響されることのないように生きていきたいと思っていました。なので可能な限り自分で食べるものは自分でつくって自給自足の暮らしをしたいんです」テーマは「自然に溶け込む書」
書道家として自然のすぐそばで暮らしを営む松下さんは、書くことが好きではあるものの、苦悩もあると言います。そんな時は自宅だけでなく山に筆を持ち込んで言葉を書くこともあるそうです。 「自分の中に感じて出てきた表現したいこと、伝えたいことをうまく生み出せたときが1番楽しいです。そうは言っても、1枚目でいきなり納得できる言葉を書けるわけではありません。何枚何十枚、時には百枚以上も書いて、ブラッシュアップしながら納得のいく1枚を見つけていく。そこに辿り着くまでは苦しくて『もう書けない・・・!』となるときもあります(笑)」 「なのでテンションをあげて書くというよりは自分自身が一番自然でフラットな状態だと、より自分らしい字を書けるので、書く場所や環境を変えるために山に筆を持ち込むこともあります。山の中だと自然に溶け込むことができるので、その状態に持っていきやすく、本来の自分に戻ることができるんです」 「もちろん家の中で書く時も自然体になって集中して取り組んでいますが、家事のことや今取り組んでいる古民家リノベーションのことなど、やらなければいけないことが目につき、気を取られることも多い。一方、一度山や自然の中に入るとほかに何も気にすることがないので、書くことに集中しやすいです」 今回の取材では松下さんに同行し、八千穂高原の白駒池で実際に言葉を書いてもらいました。 「白駒池では『無為』という言葉を書きました。作意的・意識的なものではなく、『自然のまま』、『ありのまま』といった意味です。この言葉はまさに私のモットーですし、軸にしていきたいことでもあるので、自分自身を見つめる意味も込めました」 絵とは違った表現の難しさもあることから、松下さんはその場の情景を大切にし、「自然に溶け込む書」をテーマにしているそうです。 「言葉を書く上で難しいのは、当たり前ではありますが頭に浮かんだものを文字で伝えることです。例えば私がぽたぽたと雨が落ちるのをみたときに、『雫』という言葉を書いたとします。もし私以外の人が、私が書いた『雫』という言葉を見たときに、その言葉を書いた理由や書くまでの過程までは伝わりにくいと思うんです。なので私は自分が実際に見たものや感じたことを文字から連想してもらえたら良いなと思いながら書くようにしています」きっかけは「したい暮らし」の実現
そもそも、松下さんが書道家を志したきっかけは「自分のしたい暮らし」を実現させることだったようです。 「8歳のときに書道教室に通い始めて、それから社会人になってからも書道は続けていました。働く中で自然豊かなところに移住して、『自分のしたい暮らし』を実現させたいと考えるようになりました。ただ、何を生業とするかを考えた時に自分が持っているスキルは書道家と建築しかない。それなら書道でやってみたいと思ったことがきっかけでした」 はじめは建築の道に進んだ松下さんですが、一方で中学生のころから「自然の中に身を置きたい」と感じていたと言います。 「建築は今でも好きですし、15歳のときに建築家になろうと思ってから、最短で建築家になるために高専(国立高等専門学校)の土木建築工学に進学したんです。その後は大学に編入して建築をさらに学んで、卒業後は建設会社で働きながら、自分のライフプランを見つめ直したんです。子供のころ漠然と人間であること自体が嫌な時期があって(笑)。ずっと自然の中に溶け込んだ生活がしたかったんです」 最後に、長野県での暮らしや今後について聞いてみました。 「ルーティンみたいなものはないんですが、自分の中に『器』みたいなものがあるんです。その器の匙加減で自然の中に入ったり、畑作業をしたり、空を眺めたりしています。『三つ子の魂まで』ということわざもあるように、物心がついた時から『自然の中にいる自分の方が自分らしくいられる』。そういう自覚があったので、それをずっと追って生きています。 今はまだ準備段階で、古民家のリノベーションも終わっていないですし、畑・田んぼもやり始めたばかりです。書道家の仕事を生業にしてから2年と少しなので、まだ地に足がついていない状態な気がしていて、書くことや新しい創作に集中できるように少しずつ整えていきたいです。そして今後は自然と書の愉しさをもっと感じてもらえるようなそんなアクティビティや、作品づくりをしていきたいです」PROFILE
Text:Nobuo Yoshioka Photo:Matthew Jones