『山と食欲と私』作者・信濃川日出雄氏の山ごはん原体験とは 〜山と“はじめての山ごはん”と私〜

8月5日は「山ごはんの日」って知ってましたか? 今回は、「山ごはんの日」の発案者であり、コミックス累計160万部を突破した『山と食欲と私』の作者・信濃川日出雄氏のはじめての山ごはん体験、また山ごはんの日にまつわるエピソードをご紹介。記事の最後には、プレゼントキャンペーンのお知らせもあるのでぜひお見逃しなく!

毎年8月5日は「山ごはんの日」って知ってましたか? これは山でご飯を食べる幸せをもっと多くの人に体感してもらいたいという願いで認定されました。今回は、この記念すべき日の発案者であり、コミックス累計160万部を突破した『山と食欲と私』の作者・信濃川日出雄(しなのがわ ひでお)氏の山ごはんにまつわるエピソードをご紹介します。信濃川さんを「山ごはんの日」発案のきっかけへと導いた登山での原体験とはいったい……。 はじめての山ごはん体験 at 高尾山

※掲載する写真は当時撮影したものです。

私の“はじめての山ごはん”体験 at 高尾山

はじめての登山は十数年前、場所は高尾山である。 はじめてと言っても、子どもの頃は遠足や遊びでよく田舎の山に登ったし、そもそも何をもって登山と呼ぶのか、登山とはなんぞやとーーー……、まぁ、気楽にお読み願いたい。 あれは2006年ごろ。当時、年齢は20代後半、まだ東京に住んでいた(現在は北海道在住)。念願だった週刊連載デビューを勝ち取り、多忙……、つまり貧乏暇なし余裕なし、を極めていた頃の話である。 東京はしんどかった。 もともと憧れて出てきた場所。だが、肌に合っていなかったのだろう。いわゆる大都会生活につきもののストレス全般と、加えて勝手のわからない出版業界の謎のしきたりに翻弄され、さらに将来への不安、焦燥……、それらが渾然一体の掛け算となって我が身を締め付ける。息をするだけで精一杯。ヘトヘトになっていた。 友人から高尾山登山に誘われたのはこの時だ。 「行きたい!」 すぐに返事をした。 装備なんてない。水とちょっとした昼ごはん、持ち物はそれだけ。格好もスニーカーにジーパンにTシャツ、そんなもんだった。 体が自然を求めていた。 あの頃の、運動不足&不健康&慢性体調不良だった私の体には、高尾山の軽い登山道ですらハードに感じられたが、とても楽しかったこととして印象的に思い出される。 疲れてくると子どもの頃に帰りたくなるのはなぜだろう。ど田舎育ち、カエルやカブトムシが友達だったあの頃。ノコギリクワガタなんて勝手にうちの網戸についているもの。野山を踏む感触に、魂が蘇る感じがした。

▲やがて山漫画を描くことになるとは想像もしてない頃。ほとんど写真を撮っていない。

衝撃的だったのは、この時の“山ごはんタイム”である。 当時の私は、山で食べるごはんになんてなんの関心も持っていなかった。コンビニで買った適当なパン、たぶん買うときに何の種類かもよく見ていないと思う。パンには失礼だが、目についたやつを適当に2〜3個買って、バッグに押し込んで持ってきた。基本的に不味いものなんてない。だいたいうまい。日本のコンビニ文化に絶対的な信頼を置いている。 結果としてバッグの中でプレスされ、平べったくなり中身がはみ出したやつを食べることになるのだが、「山でちょっと小腹を満たす程度でしょ」と考えていた自分的には問題なかった。 漫画風に名をつけるなら私のメニューは“いい加減なプレスパン”。 しかし友達は違った。 一緒に登ったうちのひとり、I君はゴソゴソと何やら道具を取り出して、ひとりカチャカチャとセッティングをはじめたではないか。 「!?」 え!? それ何!? ガスストーブっていうの!? すごい! 火がつくの? ちっちゃいコンロみたいなやつ?? そんなのあるんだ! すごい! 彼はガスストーブの上にクッカーをのせてお湯を沸かしはじめたのだ。ウブな私は目を丸くして所作の一部始終に釘付けだ。 やがて湯が沸くと持参したカップラーメンに注ぎ、3分。 「これがやりたかった」 友人は蓋を開けるとおもむろに「ズズーっ」と勢いよく麺をすすり、「ムフ〜」と美味しそうな吐息を漏らしながらそうつぶやいた。 忘れない。なんて満足そうな顔。こんなにカップラーメンをうまそうに食べる人を見たことがない。 そうなのだ、彼はひとり、目的を胸に秘めて高尾山を登っていたのだ。 名付けて“友達に内緒のカップラーメン”である。彼は自らのやりたかったことを、高尾山で実行し、私の目の前で、やり遂げた。 ガツーンときた。ひどい! ずるい! なんてうまそう!! なんで言ってくれないんだ! 「俺、カップラーメン食べるけど、君も自分の分を持ってきたらお湯くらい沸かしてあげるよ」とかさ、それくらい事前に言ってくれたっていいじゃん! 自分だけずるい! ずるい! めっちゃうまそう! ずるい! ……当時の私の正直な気持ちである。 まったく品がない限りだが、心の声に嘘はつけない。 つぶれたパンがどんな味だったかなんて、もう思い出せない。 彼がカップラーメンを食べる姿だけが、私の記憶にこびりついている。 「次は俺もカップラーメン食べる! 絶対食べる!」 決心した。 これが私の“はじめての山ごはん”のリアルな原体験である。

念願のカップラーメン at 塔ノ岳

その後、友人たちとはしばらく一緒に登る機会がなくなり、何年か空白の期間がある。 私はますます漫画家業に忙殺され、サラリーマンの友人たちとは全く予定が合わなくなっていた。 私がアシスタントたちと仕事場に泊まり込みで24時間紙に絵を描いている間、友人たちからは毎週のように楽しそうな報告が聞こえてきた。「新しいギアを買った」だの、「奥多摩の〇〇山に登った」だの、「次の週末は△△岳に行く」だの、「山を通じて友達ができた」だの。 「最近、平日は毎日合コンをして金曜の夜だけは合コンを休んで、土曜は早朝からテント担いで山に登りにいってんだよ」という話を聞いた時には、俺もおかしいがお前らもだいぶおかしくなってんな! と思ってた。 20代後半の男子が連日のように合コンを頑張るところまではどこにでもある話だが、さらに元気を持て余して週末に山にも登っちゃうとなると、ちょっとおかしい。でも、山に登れば登るほど気力体力は増すもの。登らない人はピンとこない感覚だろうが、登る人はわかるはず。 ムチムチムンムンと生命力がみなぎっている感じが伝わってきて、その様がおかしければおかしいほど、元気で魅力的ではないか。 羨ましいなぁ。こっちはシワシワのカサカサ、ヨロヨロのヘナヘナ。机の前で背中を丸めてちまちまな毎日。憧れだけが増していた。 実際、彼らと再び山に登る機会に恵まれたのは私の週刊連載がひと段落した頃、2010年12月だった。場所は丹沢・塔ノ岳(たんざわ・とうのだけ)である。

▲当時は山ガールブーム。一緒に山を歩いた女性の山友達が、鮎美ちゃん(コミック『山と食欲と私』の主人公・日々野鮎美)創作のヒントをたくさんくれた。

それまで私だって、全く運動ゼロというわけではなかった。前年には当時交際中だった妻と一緒に富士山にも登っている。だが、継続性がなかった。富士山だって登頂はできたが限界ギリギリ。そこから半年も山を休めばリセット完了。 彼らと一緒に塔ノ岳を歩いた時には、ただの運動不足マンだ。自分だけ足をつって恥ずかしかったな。もう全然ついていけなくなっていた。 カップラーメンの彼、友人I君はその数年間でアスリートのような引き締まった体つきに変貌していた。ぽっちゃり体型はどこへやら、見事に彼の充実した時間を物語っていた。山を歩きながらの会話は山の話ばかり。どっぷりハマっている。何が彼をそこまで魅了したのか。 ヤビツ峠から三ノ塔を越え、ヒイヒイと塔ノ岳へ。 登頂。そして、お楽しみの山ごはんタイムである。 私が念願の“山でカップラーメン”を実行することができたのはこの場所だ。 この日のために、買ったばかりのガスストーブで湯を沸かし、注いで、3分。 ドキドキ、ウキウキ、ワクワク♪ 塔ノ岳の山頂、快晴。美しい富士山を眺めながら、「ズズーっ!」 「これが食べかったんだ!」 歓喜の瞬間である。 やっとできたぜ! これだよ! 俺はこれがやりたかったんだ! 冬、気温は一桁台だっただろう。湯気がモウモウと立ち昇る器から、麺を一気にすすり上げる。 うまい……! 言葉なんて、出てこない。 山ごはんの日、信濃川日出雄、お楽しみの山ごはんタイムは山でカップラーメン

▲シーフードヌードルは最強。

何年越しだろうか。執念は容易に時をまたぐ。 なかなかしつこい性分なのである。 他の友人たちも、各々美味しそうなものを持ち寄って食べていた。 それがまぁうまそうなこと。 カップラーメン“しか”持ってきていない自分が、ちょっと悔しい気がしてくるじゃないか。 そうか、お湯を沸かすだけじゃなく色々とその場で調理して楽しむのもアリなんだなと開眼したのはこの時である。